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現在の「蓮華院弥陀堂」 |
天平15年(743年)、奈良朝廷第3代目となられた聖武天皇は諸国の様子をつぶさに巡察させようと、東国に「義澄」という高貴な方を遣わされました。こうして旅に着かれた義澄があるとき当地を訪れ、この「弥陀堂」を一夜の宿とされたのでした。翌朝、目覚めとともにお堂の扉を開けた義澄の目を驚かせたのは、前方の沼田一面に美しく咲き誇る蓮の花々でした。その光景に大変心を打たれた義澄は、その弥陀堂に「蓮華院」という院号を贈られました。このことがあって以来、当地は「蓮田」と呼ばれるようになったといわれています。
現存する弥陀堂は慶福寺が管理する「蓮華院墓地」の中央に位置しています。伝説の中で「義澄」を感嘆させた蓮の沼田は残念ながら姿を消してしまいましたが、時折参拝者や歴史家の方々がここを訪れては、当時の様子に想いを馳せる光景などが見うけられます。
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