いにしえの蓮華の里を記憶にとどめる、
蓮田市内唯一の天台宗寺院。
都心から電車で45分、新興住宅地の一角に境内を置く町のお寺――
それが現在の慶福寺の素顔です。
開山や歴史にはなお不明な点が多く、文化財などもさほど残っていませんが、
市名発祥の地、いにしえ蓮華の里を見守ってきた市内唯一の天台宗寺院として、
今日も地域の真中で意欲的に活動を続けています。

本堂(平成6年落成)
名 称 |
中應山蓮台院慶福寺 |
宗 派 |
天台宗(総本山/比叡山延暦寺) |
本 尊 |
三品阿弥陀如来 |
伽 藍 |
本堂・客殿、地蔵堂、鐘楼、まにわ塔 |
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ご本尊「阿弥陀如来」 |
慶福寺の創建および開基についての記録は、残念ながら過去幾度かの火災によってほとんど失われてしまっています。昭和9年に先代住職によって建てられた碑文を見ると「抑、當山ハ入間郡古谷村灌頂院ノ末寺二シテ、其開創太古ク、同院ノ記録ニハ慈覚大師ノ御創立ト見ユ…後凡八百年ハ未詳二付、慶安四年(1651年)弐月六日二入寂セル権大僧都慶蓮法印ヲ中興第一祖ト仰クヘシ」となっています。「慈覚大師(円仁)」を開山の祖とする天台寺院は多く、これに従うならば平安初期の創建となりますが、資料不足のため断定はできません。文政11年(1828年)に編集された「新編武蔵風土記稿」では先の「慶蓮大僧都」を開山としており、こちらは墓地も現存しています。ただし、平成6年の本堂新築工事の際、土中より「建武五年(1338年)二月」と記された板碑が発見されたことによって、当時にはすでに寺が存在していた可能性も否めなくなり、開山の歴史を探る新たな調査が待たれています。
その昔、慶福寺が伽藍を置くこの地域は、「蓮田」の地名発祥伝説に語られるような蓮華の里でした。夏の朝、蓮の花が一面に咲き誇る様子は往時の人々に浄土の光景さえ想像させたことでしょう。そのためかこの辺りは寺院建立が盛んで、半径750mの同心円内には現存する3ヶ寺のほか、文献中や屋号として名を留めているものを合わせて5ヶ寺が存在していた痕跡が認められています。また、興味深いのは慶福寺のご本尊阿弥陀如来が三体一組とされている点です。それぞれ上中下三品の印を結ぶこの阿弥陀如来の様式は、浄土信仰が盛んとなる平安中期頃から現れた九品仏に基づくものであり、その様式が最も重用された年代が特定できれば、創建に関してもう一歩踏み込んだ考察が可能になるかもしれません。このほか付近には美しい娘寅子の伝説に彩られた高さ4mの大板碑(通称=寅子石)が残されています。碑面には「南無阿弥陀仏」の名号が刻まれており、史実では延慶4年(1311年)3月8日、親鸞聖人門下の唯願が真佛法師報恩供養のために建立したとされています。県下でも2番目の大きさとなるこの板碑、いにしえの蓮華の里と浄土信仰との深い結びつきに想いが至ります。
⇒「蓮田の地名発祥伝説」を読む
⇒「寅子石の伝説」を読む
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現存する一番古い建造物「鐘楼」 |
江戸年間の記録では、慶福寺には山門、本堂、地蔵堂2宇、不動堂、鐘楼、庫裏を擁した伽藍が整備されていたとされています。地蔵堂2宇については「一ハ立像二シテ丈二尺許定朝ノ作。一ハ秘仏二シテ見ルコトヲ許サズ」となっていますが、「定朝」作とされる立像の所在は不明となっています。その後、昭和2年の火難において、本堂以下地蔵堂2宇、不動堂、山門、庫裏など6宇を焼失。幸い各ご尊像と過去帳は難を免れましたが、毎年若宮で奉納されていた「ささら獅子舞」の獅子頭なども猛火のうちに失われてしまいました。こうした火難によって、地域の歴史や性格を探る貴重な資料や文化財が多く失われていったことは残念というほかありません。
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境内に建つ記念碑 |
江戸時代の慶福寺では村の子供たちに読み書きなどを教える「寺子屋」が開かれていました。それから時が下り、明治6年6月14日(1873年)に新政府のもとで学制が頒布されると、それまでの寺子屋を改め、慶福寺を仮校舎として「蓮田小学校」が開校されました。その後、蓮田村、閏戸村、貝塚村が合併して綾瀬村となるにあたり、明治19年4月1日、一村一校の原則にしたがって校舎を閏戸の養牛寺に移して「綾瀬学校」が開校。さらに、明治25年10月25日に同校が2校に分離する際、閏戸には「閏戸尋常小学校」が、若宮の地には現在の蓮田南小学校の前身である「蓮田尋常小学校」が誕生したのです。
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旧本堂(現地蔵堂) |
昭和2年の火難から70年余りの間、伽藍の復興はわずか本堂と庫裏のみにとどまっていました。その後現住職が着任し、いま伽藍に大きな変化が生まれはじめています。「檀家さんをはじめ縁ある方々が利用できる空間を寺内に創りたい」という願いから、昭和63年に「半地下に客殿を設けた木造新本堂」の構想に着手。多く篤信の方々にご協力を頂き平成6年に落成しました。そのとき取り壊さず移動させた旧本堂には秘仏の地蔵菩薩が安置され、その名称も「地蔵堂」と改めて今日も光彩を放ち続けています。さらに本年、当寺史上初となる地上15mの大祈塔「まにわ塔」が誕生。塔の内部には永代供養墓「まにわ塔納骨堂」が設けられ、平墓地の購入・維持が困難な時代に向けて新たな墓地形態の提案が始まっています。それぞれの時代と共に、仏の教えの本意を捉えながら変容していく慶福寺。その歴史には日々新たなページが書き加わえられています。
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50人の宴席が可能な「客殿」 |
「茶室」 |
茶室の「水屋」 |
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